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「有明海のノリにおもう」
京都精華大学 環境雑学マガジンより転記しました。
著者: 鷲尾 圭司 氏 有明海ではノリ養殖漁業に極端な不作が起こり、社会問題化している。有明海の一部である諫早湾を仕切る干拓事業の影響が大きいのではないかと、政治家を巻き込んだ論争や抗議行動が繰り広げられ、広く世間の関心を集めてもいる。農水省の調査検討委員会は「水門を開けて影響調査を実施する」という提言を発表し、諫早湾の干拓事業は長期的に凍結される方向に動き出した。しかし、有明海をめぐる利害構造は国策に翻弄されて社会的に大きな軋みを生んできた。それとともに有明海漁業の存立の危機という状況は深刻さを増している。 筆者は、瀬戸内海の有力ノリ漁場である兵庫県の明石を研究のフィールドとして関わってきた。そこでの経験を元に今回の有明海の問題を考えてみたい。 明石海峡大橋を望むノリ養殖漁場は、乾し海苔の全国生産の1割を占める。有明海の干潟の海、言い換えれば「泥の海」とは対照的に、明石の場合は白砂青松の海水浴の出来るノリ養殖漁場だ。それでいて、コンビニのおにぎり海苔に圧倒的なシェアを誇る明石の海の生産力は、実は富栄養化の進んだ大阪湾の賜物でもある。 昔から市民に親しまれてきた神戸市西部の須磨海水浴場の環境をながめていると、大阪湾奥部にあたる東の海域から、抹茶色やコーヒー色をした赤潮の帯が潮時によって流れてくる。淀川や大和川、武庫川などの河川水に大都市のツケが加味されてきた結果だ。時には魚が死んで浮くことも、カニが陸上に逃げあがってくることもあるが、海の栄養が過剰になって、自然の浄化力を超えてしまったせいでもある。 そんな赤潮が、さらに西に流れて明石海峡に達すると、激しい潮流に巻き込まれて瞬く間にかき消されていく。瀬戸内海の西からもたらされる内海系の海水と、太平洋から淡路島沿いに北上してきた外洋系の海水が、大阪湾の赤潮を飲み込んでいく。結果として、明石海峡でブレンドされた程よい栄養レベルの海水が、周辺のノリ養殖漁場を潤していく。 こんな明石海峡周辺のノリ養殖漁場にも有明海で紹介されたノリの「色落ち」、つまり栄養不足による生育障害が生じている。それも2月末からほぼひと月も続いている。有明海のように大騒ぎにならないのは、3月末になれば回復するという経験に基づく判断があるからだ。そう言えば、昨年も同様の色落ちがあり、ひと月ほど開店休業を余儀なくされていた。明石の漁師たちは、生産過剰気味にあるノリ市場をながめながら、自然のもたらしてくれた生産調整として、冷静に受け止めているようでもある。 有明海における干潟のノリ養殖漁場では、海が浅いだけに春の訪れが早く、ノリ養殖は3月に入ると終わってしまう。明石よりひと月以上早く終わってしまう。そんな後のないあせりが、抗議行動の激しさにも現れているのだろう。 しかし、海は確実に変わってきているというのが、どちらの漁師たちにも共通した認識だ。栄養を食ってしまう植物プランクトンの質はもちろん、海の生き物すべてに異変が生じてきているという。どちらも数年から十年程前からだとも言う。 有明海でいえば諫早湾の干拓事業が本格的に始まってからだし、明石海峡周辺でいえば神戸のポートアイランドが拡張埋め立ての二期工事を行なってからだ。いずれも、広い海の中にあって、ごく一部の環境が変わるだけだから、環境への影響は軽微であると判断されて事業が進められたものだ。 いま、問題の所在は、工事の行われている局所的な問題から、広く内海全体に影響を与えている問題であり、それによって生じる利害が多方面に影響することが明らかになってきた。 ここで指摘しておきたいことは、三つほどある。 ひとつは、環境を把握するための時間だ。諫早湾の水門の開閉が問題になっているが、締切りによる環境への影響が見定まるのに、少なくとも数年から二十年ぐらいはかかるだろう。いま騒がれているのは、先行する変化のひとつとしての水質の問題だ。その後に、一年以内に再生産する生物たちの変化が続き、さらに再生産に数年はかかる生き物たちの変化へと波及していく。海の生き物たちがバランスをとりながら、共存していく関係を作り上げるには、二十年ぐらい観察しなければという理由はそこにある。 水門を開いての調査は、その意味で、水質面ではある程度の成果をあげられるだろうが、漁師たちが求めている「豊かな有明海」への回復を見定めるものとはならないだろう。 私たち人間の干渉が、性急すぎるのだ。 検討委員会が数年以上の長期調査を主張しているのも、結果を性急に求められていることへの遠慮の表れとみえる。 二番目は、漁師たちと行政担当者たちの議論がかみ合っていないことだ。漁師は、感と経験に基づいて、科学的知識だけでは割り切れない自然界と渡り合っている。行政担当者にしてみれば、科学的裏づけのない「感」だよりの議論は相手にできないと切り捨てるわけだが、有明海をより理解しているのはどちらだろうか。 海の科学にとって、海を調べることはとてつもなく難しい。水温などの水質の一面を見ることは容易だが、さまざまな物理条件、化学条件、微生物生態、生物生態など多様な条件が錯綜している。それぞれ変化の要因もリズムも違い、同じ局面など二度と再現できない場でもある。科学は、その中の特定の関係性だけをクローズアップして、断面としての面白さを理解しているに過ぎない。科学の中でも分析的な側面ばかりがもてはやされ、総合化の苦労はあまり評価されてこなかったからだ。言い換えると、海全体を理解しようという科学は存在していないとも言える。 漁師たちにとって、海を知ることは生きていくための知恵に他ならない。個々の事象の因果関係はわからないでも、海の変わっていく雰囲気は五感、あるいは六感を通じて観察している。言葉なり科学的文章に表わせないだけで、海に起こった些細な出来事までも記憶の端にとどめ、それらを総合化することによって、次への対処法を決断していく。経験に裏付けられた信憑性の高いものから、山勘のバクチ的決断まで、その精度には広いばらつきはあるが、自分自身を未知の世界に対置させる度胸の背景は、普段の観察から育まれているものだといえる。 問題は、こうした名人芸的な技術体系を科学が翻訳しきれていないところにある。科学は科学だけの世界で育ってきた。海全体を理解して、そこに働きかける必要もなかった。環境アセスメントに参加しても、科学的に批判が出なければ「言った者勝ち」で終えることができてきた。というのも、実際にその現場に出る研究者はわずかであり、その情報は独占的にしか利用されなかったからでもある。 いま、有明海を第三者機関として調べなければならない立場の研究者たちは、かつてない緊張感に包まれている。今までは、調査の発注者の顔色だけをうかがって、数字を並べて、好意的な感想文をつければ事足りた環境コンサルタントの仕事が、世間が注視する中で情報公開を伴って、結論を出さなければならない。言い換えれば、今ようやく科学が海を知ろうと腰をあげた段階でもある。科学の限界をはっきり指し示すことが、研究者の責任でもある。 三番目は、利害関係人の範囲が拡大していることだ。社会問題は、利害の対立の中で生じてくる。有明海の諫早湾干拓事業の問題では、計画を立てる国や県と事業に関わる地域の関係者、それと影響を受ける地元住民と漁業者ぐらいが利害関係人の範囲だった。従来であれば、それらの調整と補償が片付けば、事業は誰からも止め立てされずに進めることができた。 今日、地方分権の時代になってからは、情報公開と住民参加が欠かすことのできない要件だ。そうなると、従来は情報の外にあった人たちも、実は関係があったことに気付き、参加してくる。有明海で生じた環境問題のように、諫早湾とその周辺だけでおさまらず、広く隣県まで影響が生じたときには、利害関係人の範囲が一気に拡大され、従来の関係者だけでの枠組みに収まらなくなってくることは避けられない。 従来とは違う利害関係人としては、さまざまな活動をするNGOやその環境に生息する生き物たちまでも考慮する必要が出てきているだろう。 利害関係人の範囲が広がり、その価値観の多様性が大きくなると、従来型の合意形成の手法では収拾がつかなくなる。残念ながら私たちの社会には、そのような場合に適切な合意形成手法が定着していない。まずは、幅広く議論をはじめるしかないというのが現状であり、時間のかかる問題となる。しかし、それをこなさなくては有明海の新しい枠組みは見えてこないだろう。 有明海のノリが青ざめるように色を落としていったことは、有明海環境の危機を表わす象徴であった。その問題に関わるさまざまな立場の利害が表出し、大きな議論が巻き起こったことは、情報化時代と地方分権の時代を表わしてもいる。問題は、環境への配慮があったのか足りなかったのかにとどまらず、これまでの有明海との付き合い方に社会学的な解決策の提示がなされてこなかったことまで、明らかになってきた。 環境調査は、上に述べてきたように長期にわたらざるを得ないだろう。その間に、有明海をめぐるさまざまな立場の意見を持ち寄る場を設け、どのような有明海にするのかの総合的な検討が加えられる必要がある。そこには利害対立を解決していく社会システムを組みなおす必要もでてくるだろう。 従来の立場ごとの要求を競うのではなく、総合的な有明海のあり方を共通認識において、利用調整を図っていくことが必要になる。瀬戸内海で取り組まれてきたような環境保全特別措置法の仕組みなり、枠組み作りが有明海にも求められる状況になってきたとも言えるだろう。 整理をすると、有明海のノリは、私たちの地域環境と社会のあり方を問いかけているようだ。ここで解決しなければならない問題は多方面にわたる。 第一には、有明海の実情をどれだけ分かりやすく調べ上げて説明できるか。第二には、利害の対立が生じることは避けられないから、どのように調整するのか。第三には、これからの有明海のあるべき姿を議論し、参加し、調整していく場を設けられるか。 これらの解決なしには、この問題は片付かない。項目を見て分かるように、環境の技術的な問題だけではなく、社会学的な問題も大きいことに気がつくはずだ。また、こうした視点は有明海だけに限らず、瀬戸内海をはじめ日本中で起こっている環境問題の現場と共通するものだ。環境社会学の役割は、こんなところにも求められている。 もどる |