三池炭坑特集

 

 

南新開鉱

 

 

南新開坑 象徴
 大牟田川の河口。有明海に面した広大な埋め立て地の突端に立つ。 「炭坑」と「有明海」が接するところ。大牟田の象徴ともいえる。

 

 


 

 

墓標 CROSS
 光もささない地の底に、今もなお眠る多くの人々の墓標のように思えてならない。 炭坑が背負されてきた過酷な歴史と運命の象徴のようである。 

 

 


 

 

枯れ野 孤立
 あたりは枯れ野が広がっている。明るい陽射しがさす昼間でも不気味な雰囲気が漂う。

 

 


 

 

攻防の歴史 昭和35年
 昭和35年。三池争議。坑内に入り採炭を再開しようとする人々が船で乗り付け、それを阻止する人々と衝突した。この堤防をはさんで繰り広げられた日々はもう歴史となった。 

 

 


 

 

跡地 平成10年
 平成10年2月中旬。南新開鉱は跡形もなく消えた。   

 

 



 

 

宮原鉱
日常生活
 福岡県大牟田市。荒尾市との県境も近い郊外の住宅地。 民家と隣り合わせに坑口がある。 まわりには家庭菜園があり、周囲の景色の中にとけ込んでいる。
民家と坑口

 

 


 

 

文化財
 ここも「万田鉱」と同じく、レンガ作りの古い建造物。 だが、明治時代には三池集治監(跡地には、現在、三池工業高校がある)の囚人が出役させられた歴史がある。 その悲惨をきわめたようすから、周囲の人々は「修羅坑」と呼ぶようになった。

 

 


 

 

坑口と線路跡
 すぐ横を炭坑電車の線路が通っていた。おそらく、もう何十年も変わっていない景色。

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Last up date 7/5/1997