三池炭坑特集

社宅
「月見が丘」「紅葉が丘」「朝日が丘」「野添」「臼井」「四山」「万田」「新港」「緑ヶ丘」「大平」「小浜」。 大牟田市南部から荒尾市にかけての県境付近には多くの「社宅」があった。 現在、その大部分はなくなり、わずかに残った社宅に住む人々も1年後には、 住み慣れた家を離れなければならない。
 大牟田に住む者にとって社宅は見慣れたものであり、 その移り変わりの様子は注意していないと見過ごしてしまいそうである。何気なく通り過ぎていた場所をまわってきた。

 ここは、大牟田駅の西側にある小浜南社宅。市内で最大であった。
昨年11月末で住民の退去が済むと取り壊しが始まった。
そのピッチは閉山1年を目前に速くなった。

室内
小浜南社宅 1998年2月10日撮影
荒廃
 部屋の中は荒れ放題である。退去が済むと待ちかねたようにトラックで押しかけ、残された家財道具から古材まで持っていく者がいるという。常識を疑う行為だ。



小浜南社宅 1998年2月10日撮影


小浜南社宅
 小浜南社宅は三池炭坑の社宅の中では規模が最大である。

平成元年田畑氏撮影


廃屋
 人が住まなくなった家はすぐに荒れる。営みの跡はもうまったく見られない。

大牟田市勝立。紅葉丘社宅。



大牟田市勝立。紅葉丘社宅。

 老人が一人で住む社宅。周囲の二軒は空き家。 家財道具を残したまま去って行った人々は、ここでの暮らしをどう思っているだろうか。 この社宅も来年の春には空き家になる。



大牟田市臼井町。臼井社宅。
大通り
社宅の中心になった通り。炭坑が栄えたころ、ここには社宅事務所、商店街、保育園、病院などが並んでいたという。 今も残るのは左手の理髪店と手前の郵便局そして保育園の跡のみである。


枯れ草におおわれた社宅跡地の中を車で走っていると、一画から子供たちのにぎやかな声が聞こえてくる。 殺風景な景色の中にそこだけ光がさしているようである。 ここには、私が子どものころ見た光景が残っていた。 人なつっこい子供たちがいた。 幼い日に見た大牟田の町は、この子らの脳裏にどんな記憶となって残るのだろうか。




社宅の中の大通りに面して社宅事務所、保育園、病院がある。 古びて朽ちかけた建物は枯れ草に埋もれてひっそりとたたずんでいた。
jimusho
大牟田市臼井町。
二度目に訪れた時、すでに取り壊され、跡形もなかった。
社宅事務所
 黒板に書かれた共同浴場の閉鎖予定、裏の小部屋に積み上げられた映画の案内の看板、床には運動会の道具。 ほこりが積もった部屋は往時をしのばせる。一歩入ると私の足はすくんだ。黒板に書かれた文字のひとつひとつは、床にころがる玉入れに使ったお手玉は、人々がこの場所で営んだ日々、もう二度と戻ってこない日々を今に伝える貴重な財産である。私にとっては宝物である。


hoikuen 保育園
春の陽射しが射し込む部屋には、今も子供たちの声が響いている。


Time Slip
 卒園生と訪れた。彼女は当時を思い出し語ってくれた。この部屋がにぎわったころが目にうかぶ。
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jimusho 卒園式
 上の写真と同じ部屋。昭和36年の卒園式のようす。まだ、三川鉱事故の前であり、社宅が最もにぎやかであったろうと思われる。


床屋
 臼井社宅に今も残る床屋。木造の家屋は昔の面影をとどめる。店内には近所のお年寄りの姿が多い。1997年6月12日。
床屋


共同浴場
 野添社宅、午後6時。共同浴場に灯りがともる。夏草におおわれた社宅から洗面器を抱えた人達がやってくる。1997年6月12日。


Last up date 2/14/1998