地元愛の強い人たちからこのサイトは大牟田の悪口を云うと非難されてきました。リンクをお願いしても返事すら返ってきませんでした。 写真を提供してもらっていた元炭鉱マンの方が「あいつはホームページで儲けている」と親戚から入れ知恵されて「二度と来るな」と言い出したことも。さんざんな目に会いました。 儲けるどころかポケットマネーを全部つぎ込んでいるというのに。 元炭鉱マンのM脇さん、現役だった龍さんや海苔漁師のT口さんのような、気さくに応じてもらった人たちがいらっしゃるのが救いです。 物事には陽の当たる部分もあれば陰の部分もある。炭鉱の町という一つの時代と文化を丸ごととらえて何が悪い。 悪いこと恥ずかしいことには触れないで、地元礼賛だけのホームページなんて企業のCMと同じで意味がないと思っています。 あの当時取材に来たマスコミの人たちが、大牟田は敷居が高いと言ってました。その通りです。そしてなぜ敷居が高いかその理由もおぼろげながらわかります。人生の半分以上住んでいましたからね。 閉山で人が去り、地元で生まれ育った人たちだけが残るにつれて、大牟田は排他性が強くなる一方でした。 大牟田を去って全国に散っていった人たちは三池から来たことを必死で隠したといいます。ガラの悪い炭坑出身で組合に入っていた人という目で見られるから。 人相手の仕事だったんので、炭鉱の社宅にも何度となく行き話し込むこともありました。ですので、炭鉱マンとそのご家族にも数多く知り合いがいました。偏狭な人もいれば、開けっ広げで明るい人、世の中を見る冷静な目を持っている人。ほんとうにいろいろ多種多彩でした。 世の人々は物事を『単純に図式化』してとらえます。「炭鉱=労働組合=悪」というパターン化された図式がこの国の同調圧力によって大牟田を苦しめています。 大牟田の人たちもその炭鉱の影を消そうと必死です。それは、自らも『炭鉱=労働組合=悪というイメージ』を内面化してしまっているから。 大牟田は20〜60代まで人生のほとんどを過ごした町です。今もたまに帰るとあちこちに昔の思い出がちりばめられています。 大牟田の人は【大牟田のどこが悪い。戦後最も大変だったとき世話になったのを忘れたのか。恩知らずどもが】と胸を張るべきだと思うのです。 「粛々と」などと唱えずに、正々堂々と居直っていただきたいのです。元気な大牟田にもどってほしい。 そのつもりでこのサイトを作っています。 2023年6月 |